明治時代の料理文学の古典的名著--村井弦斎の『食道楽』。春、夏、秋、冬、全4巻に、当時の料理の調理法と世相をちりばめた長編傑作小説ですが、たまご料理も数多く登場します。ここでは、たまごシーンを抜粋してお届けします。
『食道樂』(村井弦斎著)より

たまご料理の数々

食道樂 春の巻 第三十七 鶏卵の半熟
小山「それでは晝飯の支度をさせやう、お徳や、ちょいと晝飯の支度をしてお呉れ」妻君「ハイ、ですが中川さんには迂つかりした物を差上げるとお笑ひ草の種になりますから困りました子」主人「ナニ搆ふものか、何うせ知らないのだもの、知らないからお登和さんに教はつて料理法を覺えなければならん、何でも差し上て惡い處は中川君に指摘して貰ふ方が宜い」妻君「それに生憎今日は南京豆の煮たのがある計りで外に何の料理も出來て居ませんし、魚屋もまだ來ず、家に在るものは鶏卵位ですから鶏卵で何か拵へませうか、中川さん失禮ですが玉子は何うしたのが一番宜いでせう」中川「爾うです子、妹は色々な玉子料理を拵へますが僕はよく知りません、然し玉子は眞誠の半熟が一番消化も良し、味も良い樣です」主人「半熟に眞誠と虚偽があるか子」中川「有るさ、眞誠の半熟は非常に六ヶ敷いもので我邦では醫學博士の鈴木幸之助君が熱心なる研究の末に漸く其方法を發明された、米國では十年以前から行はれて居る、今迄の半熟と云ふのは白身計り半分固まつて黄身は少しも煮えて居らん、あれでは白身の半熟で玉子の半熟でない、白身も黄身も共に半熟にならなければ眞誠の半熟と云はれんが昔しから温泉で湯煮るとその半熟が出來る事は人が知つて居た、修繕寺や熱海の温泉で爾う云ふ半熟の玉子を客に出して温泉の効能だと誇つて居た、研究の結果に寄ると全く温度の加減にあるので温泉の藥力では無い、奥さん一つ試めして御覧なさい、弱い火へ湯を掛けて玉子を入れるのですがその湯の中へ指先をちょいと入れられる位の温度にして卅分から四十分間位湯煮ると白身も黄身も丁度良い半熟になりますよ、寒暖計で測れば攝氏の六十八度より低からず七十度より高からず即ち華氏の百五六十度と云ふ温度です、斯うして湯でた半熟は其味の佳いこと玉子の嫌ひな人でも悦んで食べられます、迚も普通の半熟や湯煮玉子は比較になりません、且ついつまでも腐敗せんで暑中でも三日持ちます、今日拵へたものを明日食べるには五分か十分温めれば宜いのです、極く便利だから遣つて御覧なさい」と一々特別の料理法あり、
食道樂 春の巻 第三十八 玉子の善惡
小山の妻君は教に従つて深き鍋を火鉢に載せたるが玉子の箱を臺所より客の前に持ち來り「中川さん、お序に何卒玉子の選定法を教へて下さい、全體玉子は何う云ふのが良いのでせう」中川「左樣です子、玉子の良否を擇ぶのは必要な事ですが日本人は平生食物問題に不注意だから玉子屋が善いのも惡いのも皆んな混ぜて賣つて居ますし、買ふ方も構はずに買ひます、西洋では色々區別があつて値段の高下はその大小に依らずして品質の良否に依るそうです先づ大體から云ふと玉子の皮がテラ/\光て光澤のあるのは古い證據で、少しも光澤の無い丁度胡粉を薄く塗つた樣なのが新しいのです、玉子は古くなるほど胡粉の樣なものが除れて段々光つて來ますから光つたものを買つてはなりません、それから皮の薄紅いのと白いのがあります子、薄紅いのは肉用鶏の産んだので白いのは産卵鶏の産んだのですから白い方が遙に上等です、西洋では白い玉子と紅い玉子とは白い方が値段も高いそうです、よく氣をつけて御覧なさい、紅い方は大概皮が厚くつて白い方が薄いものです、皮の厚いのは滅多に産まない肉用鶏のですから石灰分が多いのです、薄い方は澤山産むから石灰分が少いのです、それから同じ大きさでも重量が大層違つて十二匁のもあり十四匁のもあります、輕いのは品質が惡いので且必ず古いのですから重いのを買はなければなりません、して見ると光澤の無い白い玉子で重いのが一番上等なのですけれどもモー一層上等なのは受精しない玉子です、受精しない玉子は味も大層良いし、保存期も大層長いそうです」と説明此に至りて聞く人に解し易からず、主人の小山不思議そうに「受精しない玉子とは何う云ふ譯だ」中川「雄鶏と交尾しないで雌鶏計りで産んだのさ」主人「愈よ不思議だ雌鶏計で玉子を産か子」中川「産むとも、ヒヨコ/\産むよ、その代り母鶏に抱かせても孵化らない、試みに雌鶏計り飼つて置いて見給へ、雄鶏が居なくとも玉子を産よ」主人「それなら雄鶏を飼う必要は無い、食用にする玉子が欲しければ雌鶏計り飼つた方が受精せんで上等の玉子を産む譯だ子」中川「ところが爾うすると妙なもので雌鶏が段々氣が荒くなつて遂には玉子を澤山産まなくなる、雄鶏が居れば外敵が來てもコー/\と啼いて知らせて呉れるし、餌を漁る時にも雄鶏が先へ見付けて雌鶏に食べさせて呉れるし、萬事に保護を受けるから雌鶏も安心して身體を養ひ生殖の事に全力を盡す事が出來る、雄鶏が居ないと雌鶏が自ら外敵も防がねばならず自ら餌も漁らねばならん、物に驚き易くなつて氣が忙しくなつてその方へ身體の精力を向けるから自然と産卵力が減じて來る、雄鶏と一所に置いても寒中は雄鶏の交尾力が寡いから雌の産む玉子は多く受精して居ない、受精して居ないから味も良し長く腐敗せんので、世人は寒玉子と云つて寒中に産むから良いと思ふけれども寒中に産んだ為めに良いので無い、寒中の玉子は受精して居ないから特別の効能があるのだ」主人「成程妙な譯だ、受精した玉子と受精せん玉子と外部から見て解るか子」中川「外面からでは解らんが割つて見るとよく解る」主人「では割つて見やう、お徳や小皿を二三枚持つておいで」と六か敷き玉子の檢定法が始まれり、
食道樂 春の巻 第三十九 食品の注意
世人の多くは毎日鶏卵を食する事を知れども其品質の良否を擇ぶ事を知らず、大小を問へども新古を問はず、新古を問へども實質を問はず、實質を問へども受精したるや否やを檢するもの寡し、是れ平生食物問題に不注意なるの致す所にあらずや、客の中川は側に在りける鶏卵を執りて小皿の上へ割つて落し「小山君、よく見給へ、玉子を皿の上へ割つて見て黄身が此通り中高に盛上つて居て白身も二段か三段に高くなつて居るのは新しい證據だ、斯ういふのは皮の光らない玉子に限る、皮の光つたのを割ると黄身も白身もダラリとして横に擴がる、それは古い證據だ、そこでよく見給へ、黄身の上に鳥の眼位な圓い小さな線があるだらう、俗に黄身の眼と云ふが是れは玉子の胎盤だ、ソラ見えたらう是だ/\、奥さん、お分りになりましたか、色が薄いからよく見ないと分りませんよ、此の眼が黄身の眞中に在つて眼の近所に何にもありますまい、斯ういふのは受精しない玉子です、モー一つ割つて見ませうオヤ今度も受精しない、今頃の玉子は受精しないのが多いのです、春になると大概は受精して居ます、今頃の玉子でも一つや二つは受精して居るのもありませう、モー一つ割らせて下さい、ソラ今度こそ受精して居ます、是れは眼の處へ透明つたドロ/\の樣なものが附着いて居てそれが黄身の白い紐と連結してあります、エヽ分りませんか、何んな玉子でも此通りに黄身の兩端から白い筋が出て居ませう、是れは黄身を兩方の皮へ繋いで釣つて居る紐でカラザと云ふものです、此紐で兩方の皮へ釣つて居るから黄身がいつでも眞中に居るのです、受精した玉子は今御覧になつたドロ/\の樣なものが眼と紐とを繋いで居ます、是れが受精した玉子で受精しない方は眼の近所にもありません、双方をよく見比べると分ります、餘程違ひませう、誰でも毎日の樣に玉子を割りますが注意しなければ知らずに居ます、一度斯うやつて双方をお見比べになると今度玉子を割つた時、是れは受精して居る、是れは受精して居ないと云ふ事が直ぐお分りになりませう、何事も注意次第です、殊に食物を取扱ふ人は注意が肝腎です」と實物に就いて丁寧に説明する、主人夫婦も始めて會得し「成程妙だ子、二つ並べて見ると受精したのと受精せんのはよく分るけれども今迄は無我夢中に玉子を割つて居たから頓と氣が付かなかつた、中川君、玉子の黄身に色の白いのと赤いのがあるが是れは何う云ふ譯だ子」中川「それは食物と飼養法と種類とで違ふ、西洋鶏は黄身の色が白い、西洋人は黄身の白いのを好む、日本人は赤いのを好む樣だが在來の玉子が黄身の赤い故だらう、柵飼にすると黄身の色が白い、放飼にすると赤くなる、牛肉の樣な餌を遣ると黄身が白くなる、穀物を與へると赤くなる、黄身の色の白と赤とは滋養分に関係は無い」主人「それでは皮の白いのが黄身も白くつて赤いのが赤い黄身だと云ふ譯かネ」中川「イヤ爾うも極まらん、幾分か其の傾はある樣だけれども一定して居らん」主人「それでは玉子の雌雄を何うして別ける子、俗に細長いのが雄で圓いのが雌だと云ふが爾うか子」中川「イヤそれは俗説で長いのと圓いのは卵道の構造に因るのだ、玉子の雄雌を知る事が出來たら母鶏に抱かせたり孵卵器へ納れたりする時非常の利益だけれども今の知識ではまだその鑑別法が發見して無い、亞米利加では大金を懸賞してその鑑別法を募つて居る、もしも名法を發見したら亞米利加から十餘萬弗の懸賞金が取れるぜ」主人「では毎日その鑑別法を研究しやうか」
食道樂 春の巻 第四十 風流亡國論
客の中川此に至りて慨然と嘆息し「小山君、君も知つて居る通り僕は平生風流亡國論を唱へて日本人の似非風流は亡國の基と主張するが玉子の話に就いても愈よ其事を想ひ起す子、今の青年輩は動ともすると實用なる科學智識の研究を閑却してヤレ詩を作るの歌を詠むの或は俳句を案ずるのと無用な閑文字に腦獎を絞つて居るが、爾んな事は専門家に委すべき事だ、詩人とか歌人とか俳人とか一身を其専門の業に投じた人のする事で、文明の道に進むべき多忙多事なる青年輩の為すべき事で無い、素人がいかに腦獎を絞つても専門家を凌駕して天下後世へ傳はる程の名句が出來る筈も無いのに、無用な事へ心を勞してそれが為めに實用の智識を等閑にするのは最も憂ふべき事だ、爾んな暇があるなら玉子の雌雄鑑別法でも研究して全世界の養鶏家へ大利益を與へる樣な工風をしたら宜からう、日本人に發明の出來ないのは能はざるにあらず為さヾるなりだ、無用な似非風流に腦力を費して實用な事に心を向けんからだ、遠い昔の芭蕉や其角の句は諳誦して居ても毎日食べる玉子は何れが新しいか古いか知らん樣な迂濶な心掛では何うして此の文明世界へ進む事が出來やう、僕は世人の氣樂なるに驚く子」と文學者の口より斯る説の出づるは幾分か世運の進歩せし兆ならん、主人の小山も同感と見え「いかにも爾うだよ、書畫や骨董の鑑定に長じて千年以前の物も立どころに眞偽を辨ずると威張る人が毎日上海玉子の腐りかヽつたのを食べさせられても平氣で居る世中だもの、古い書畫を鑑定する智識と毎日の食物を鑑定する智識と孰れが人生に必用だらう、世中の事は多く本末輕重を誤つて居るから可笑しい、女にしても其通りだ、僕の妻君なぞは珊瑚の玉と明石玉とを鑒別する事は大層お上手だが魚屋の持つて來た鯛は房州鯛か三浦鯛か新しいか古いかと云ふ事はよく御存知ない、同じ大さでも房州の鯛と三浦の鯛とは値段が半分以上も違ふから子」と妻君にまで飛んだとばつちり、妻君打笑ひ「だから私も中川さんやお登和さんに教はつて色々な事を覺へる積りです、中川さん、玉子のお話の序に、何うしたら玉子を長く保存して置く事が出來ませうか教へて下さい」中川「玉子の保存法ですか、第一には新しい玉子と古い玉子と一所に置いては不可ません、一つでも古い玉子が交つて腐敗し始めると直ぐに外の新しいのへ傳染して皆んな腐ります、それから一つ/\別々に離してお置きなさい箱の中ならば籾の中へ横に埋めて置くのです、第二は決して堅に置いては不可ません必らず横にして置くのです、堅にすると今お目にかけたカラザと云ふ紐が黄身の重みで切れますから早く腐ります、第三に一番長く保存する法は地を掘つて下へ灰を敷いて玉子を一つ々々離して横に置いて其の上へ灰をかけて置くのです、産みたての玉子を中の黄身が動かない樣にそうつと横に持つて來て其中へ置いて少しも手を付けずに置くと一年過ぎても腐らんと云ひます」妻君「早速爾うして見ませう、夏になると玉子が腐つて仕樣が御座いません、オヤモー十一時だよ、あんまりお話に實が入つて御飯の支度が遅くなりました、今お割りになつた玉子で田毎豆腐でも拵へませう」と臺所へ立つて行く、
食道樂 春の巻 第四十一 田毎豆腐
晝餐の支度は中々に手間が取れたり、鳥渡したる御馳走ながら客が料理に委しき中川とて妻君も如何計り心を勞しけん、稍ありて持出し來れる膳の上には品數多く列べられたり、主人の小山先づ椀の蓋を取りてお毒見にと其味を試み「ウム、是れは美味く出來た、中川君、此の田毎豆腐を遣つて見給へ」中川も箸を執りて椀の中を覗き「田毎豆腐とは始めて聞いたが、オヤ/\豆腐の中に玉子が入れてある子、田毎の月と云ふ譯か、味も大層結構だ、何う云ふ風に拵へるのだ」主人「先づ餡掛豆腐の變體さ子、四角に切た豆腐の眞中を匙の先でくり抜いて其中へ玉子の黄身のザット湯煮たのを落してそれをそうつと沸湯で湯煮て別に葛の餡を拵へて掛けるのだが今日のは豆腐も柔に煮えて居るし餡の味も佳い、お徳や、今日のは別製かえ」妻君「ハイ別製で御座います、矢つ張りお登和さんの御傳授で餡掛豆腐の製法を先日教はりましたからその法を用ゐて今日はお豆腐を湯煮る時お湯の中へ葛を溶いて入れましたからそれでお豆腐が柔いのです、餡の拵らへ方もお登和さん直傳です」主人「道理で美味いと思つた、此の半熟玉子を遣つて見やう成程是は格別だ、白身も黄身も同じ樣な半熟になつて味の佳いこと非常だ子、
食道樂 夏の巻 第八十九 米料理
停車塲へ如何なる人々の着せしとも知らず大原の家にて御馳走の支度に餘念無きお登和孃、口にこそ言はねど心には天晴れ今日のお料理こそ大事なれ、未來の舅姑に初めて参らする手料理なり、落度ありても惡しかりなんと一生懸命に心を碎き「小山の奥さん、そのお米のブデンは子、全體なら生米を二時間牛乳へ浸して煮て外の品物を加へて蒸燒にするのですが今日は急ぎますから略式にして先づ玉子の黄身三つへ砂糖を大匙三杯とホンの少しの鹽とを入れてよく練る樣に攪き廻して最初は少し牛乳を加へて丁寧に攪き交ぜ又加へて交ぜて三四度位に牛乳二合を混ぜてそれへ御飯を大匙三杯位入れてよく攪き交ぜます、それをブデン型即ちベシンと云ふものへ入れてテンパンへ湯を少し注いでベシンを其中へ入れたまヽテンピで三十分間位蒸燒にしますが、或は型へ入れて布巾をかけてお釜が御飯蒸しで蒸しても出來ます、クリームをかけて出せば上等ですがバター一杯でコルンスタツチ一杯か或は米利堅粉一杯をよくいためて牛乳一合と鹽と砂糖二杯とブランデーの入つたソースをかけませう、それからお米のオムレツは矢つ張り外のオムレツの樣に玉子の黄身と白身を別々に溶いて、白身はよく攪き廻して泡を充分立てヽ容器を倒さにしても落ちない迄にするのです、黄身へは鹽と胡椒と少しの牛乳を交ぜて攪き廻すのです、此の白身と黄身とを一つ物へ入れて再びよく攪き交ぜて其儘フライ鍋のバターの敷いた上へ落して柏餠の形に燒くと大層フツクリ膨らんで温い處をお客に出すとそれが純粹のオムレツです、その柏餠の間へ牛乳の煮たのや葱を入れたのが牛肉入オムレツでハムを入れヽばハム入オムレツになるのです、今日は御飯を入れてお米のオムレツに致しませう、今では此のお米のオムレツが米國の南部で毎日の食物になつて居るそうです」と米に種々の料理法あり、小山の妻君感心し「成程お米も料理法次第で色々に食べられます子、西洋人は日本人の事を三千年來お米を食べながら米の食べ方を知らないと惡く云ふそふですが西洋人は何でもよく研究したものです子」お登和「左樣です、西洋人は食物の事を人間の一番大切な問題と思つて毎日研究して居るからです、亞米利加計りでもお米の料理が二百何十種あるそうです、お米の本家たる日本人が耻かしい譯でありませんか、其次は御飯とパン粉か或は米利堅粉と牛乳と玉子と鹽と砂糖とを交ぜて油を敷いた鍋でよく炒り付けるのです、中々美味いものですよ、それを布巾で固めると西洋風のコロツケが出來ます、それから炊たての御飯を箱へ入れて上から壓しを置くと箱鮨の樣に固まりますからそれを好い加減に切つて玉子と米利堅粉と鹽と砂糖で製した衣をかけて油で揚げるとお米のフライが出來ます、それでお米の料理が四通りになりませう」
食道樂 夏の巻 第百四十 玉子料理
お登和孃「今度はお豆腐のフライをお教へ申しませう、お豆腐を一寸四角位に切つて暫く布巾の上へ載せて置いて幾度も載せ直してよく兩面の水氣を去つて、葛を粉にしてお豆腐の兩面へ叩き付けてそれを油で揚げるのです、藥味を添へてお醤油で喰べても宜う御座いますがそれを復た味をつけて煮ても結構です」と斯る料理は玉江孃よりも小山の妻君が悦ぶ所なり「爾う云ふものは私共の家で極く調法しますが油揚を美味く喰べる工風はありますまいか」お登和孃「爾うです子、油揚の玉子かけと云つて先づ油揚を二枚に裂いて糸切にして一度湯煮こぼして鰹節の煎汁と醤油と砂糖でよく煮て一旦油揚だけを掬ひ揚げて殘つた汁の中へ葛を入れてドロ/\にした處へ玉子を入れてよく掻き廻してその汁を油揚の上へかけて出します、種は油揚でも中々上品なお料理になりますよ、玉江さん、玉子料理を二つ計り加へませうか子、丸煮玉子と云つてよく湯煮た玉子の殻を剥いて尖らない方の下の處を横に截つて中から黄身をそつくり出して了つて一つはその黄身へ鹽と砂糖で煮た人参の裏漉にしたのを混ぜて味をつけて復た玉子の中へ詰め込みます、一つはお魚の摺身へ味をつけて詰め込みます、一つは豆の裏漉しへ味をつけて詰めます、爾うしてピツたりと白身の蓋をして蒸しますと切口がそつくりついて其の儘青い葉でも敷いた皿へ尖つた方を上にして立てヽ置きますとちよいと切り口が分かりませんから湯で玉子が出た樣です、食べる時にナイフで割ると中から白と青と黄の三色が出てお慰さみになります、西洋料理ではそれをモット色々なものを詰めて肉類の煮汁で煮るのです、中の身を詰めるのに澤山入れ過ぎると蒸した時中が膨れて切り口が裂けますから氣を付けなければ不可ません、モー一つの玉子料理は二色玉子と云つて口取の蒲鉾代りに使ふものです、湯煮た玉子の白身と黄身を別々に裏漉しにして黄身の方へは少し甘味の多い樣に砂糖と鹽を入れ白身の方へは鹽氣を多くしてお砂糖で味をつけて、蒸し箱があれば何よりですが無ければ羊羹箱の底を抜いて底の代りに蒸籠の上へ濡れた布巾を敷いて箱を置きます、其中へ味淋で濡した紙を敷いて先づ黄身の方を平らに箱へ詰めて上を夷してそれから白身を入れてよく蒸すのです、蒸し上つた時厚く切つて出すと味も大層結構です」と是にて料理が四色となれり、玉江孃も中々一度に覺え切れねど熱心は講釋の多きを厭はず「今日稽古の出來ないものは明日復た教へて戴ますが小山の奥さんもいらつしやいますからお話しだけでも三十六通り伺つて置きませう、其次には何のお料理が出ます」お登和孃「爾うです子、今度は野菜料理に致しませうか、新牛蒡がありますからあれを細いのは其儘で太いのは四つ切りにして一旦お醤油と味淋とお砂糖でよく柔に煮て米利堅粉へ玉子を交ぜた衣を拵へて天麩羅に致しますと牛蒡の天麩羅が出來ます、それから莢豌豆の柔いのを油でいためて牛か鳥のスープでよく煮ると中々結構です、蓮根を三寸位に切て白湯煮にして酢と砂糖と鹽で煮て別に湯煮玉子の黄身を裏漉しにして鹽と砂糖で味をつけて蓮根の孔へ詰めて小口切りにして出すのも妙です、竹の子も追々端竹や眞竹の細いのが出ますから例の通り皮のまヽ糠で湯煮て、底の方から中をくり抜いて魚の身の摺つたのへ米利堅粉を混ぜて味をつけたものでも或は牛肉でも鳥の肉でも豚でもハムでも細く崩して詰め込んで、それをよく煮て小口切りにしますと竹の子へ中の身の味が侵みて何んなに美味う御座いませう」
食道樂 秋の巻 第二百六 玉子の雪
玉江孃はお登和孃の説明を頻に感心し「成程爾う云ふ風にすれば何んな片田舎でも山の中でもカステラやビスケット位出來ない事はありません子」お登和孃「左樣ですとも玉子の泡を立てる事さへ一つ上手になれば色々な料理に應用が出來ます、是れも片田舎で來出る事ですが玉子一個の白身計りへ少しの砂糖を混ぜて、極く大きな湯呑か或はコップの中へ入れて、茶筅かサヽラか五六本の箸で根氣好く今の通りの順序にして攪廻して居ると最初は底の方に少し計りあつた白身が泡立つて殖えて湯呑一杯になります、丁度雪の樣に固くなつて箸の先へ澤山着いて擧がる樣になります、別に平たい鍋へ湯をグラ/\沸立たせて置いて今の泡立つた白身を入れると復た一層膨れます、それを直ぐに灰篩ひか網杓子で掬ひ取って皿の上へ盛るのですが長く湯の中へ置くと小さくなりますからフーッと膨れ上ったら直ぐに掬ひ取らなければ不可ません、爾うしてそれへお砂糖をかけてお客に出すと上品な綺麗なお菓子が出來ます、西洋では其事を玉子の雪と申しまして一つの玉子の白身で二人前位のお菓子が出來ます、上等にすればそれへカスターソースをかけます、何んな山の中でも玉子さへあれば譯の無い事です、それから叉た今の殘った黄身へお砂糖を混ぜて湯の中で煮て今の雪の上へかけても尚ほ結構です、全體なら沸立つて居る牛乳一合へ今の白身三つ振りを入れると牛乳が半分程白身へ吸い込まれて大きく膨れます、最初それを平たい皿へ取って、殘った牛乳へ三つの黄身と砂糖とを入れて攪き廻しながら煮てドロ/\になったものを白身の上へかけると大層美味しいお料理が出來て病人なんぞに滋養物を食べさせる時極く宜う御座います、何にしろ玉子の泡立方を二三度試驗してよく覺えなければ不可ません」玉江孃「あれが中々慣れないと面倒で私も最初の内は手が痛くなつて困りました、玉子廻しを使つてさへ草臥れますから玉子廻しの無い處では隨分困ります子、私も田舎の人に爾う云ふ事を教へて進げ度いと思ひますが何とか外に玉子を泡立てる工風は無いものでせうか」お登和孃「爾うです子、車の着いた西洋の玉子廻しはちよいと出來ませんけれども和製の玉子廻しなら何んな田舎でも自分の家で譯無く出來ます、食道樂と云ふ書物の春の巻の二百十六ページを御覽になると、上段の註に玉子廻しの器械の圖が二ツ出て居ます、その一とつの方は鐵線を寄せたのですから誰れにでも出來ます、丁度素麺位な鐵線を長さ一尺五寸位づつ七本に剪つてあの圖を側へ置きながら小さな擂木の頭で互ひ違ひに鐵線の中程を圓く曲げて手元の方を寄せて固く巻いてあの圖の通りにすれば少しも六か敷い事はありません」玉江孃「それではカステラ鍋やテンピも田舎で出來ませうか」お登和孃「出來ますとも、矢っ張り今の書物の二十八ページにカステラ鍋とテンピの圖が出て居ますからあれを見てブリキ屋に造せれば何處でも出來ます、カステラ鍋の方は全體が銅で白身を敷いてあつて上は被せ蓋で蓋の中程が一段低く出來て居ますけれども田舎で使ふには厚いブリキの箱へ蓋を載せる樣にすれば澤山です、然しカステラ鍋では小さくつて澤山の料理に應用する事が出來ませんけれどもテンピなら何んな西洋料理でも出來ます、テンピの方は鐵板を四角に張って前を開き戸にした樣なものですから是れも鐵板さへあればブリキ屋で上手に出來ます、上は火を載せても轉げ出さない樣に丁度お膳の縁の樣な縁を鐵板で拵へて下の方も火氣を保つ為め上と同じ位な縁の足を出して火氣を抜く為め指の太さ位な孔を一側へ三つ位明けて置くのです、注にある圖をブリキ屋へ見せて此通りに鐵板で張って呉れろと云へば出來ます」
食道樂 秋の巻 第二百八 蒸し料理 玉子ブデン 南瓜ブデン オムレツ
玉江孃「ハイそれも試して見ませう、先生田舎の人なんぞは病氣になつた時お醫者に牛乳を飮めと勸められても厭がつて飮まない人が澤山あります、爾んな人に牛乳料理を美味く食べさせる工風がありませうか」お登和孃「ハイ有りますとも、私もよく爾う云ふ人に牛乳料理を拵へて食べさせました、道具の無い田舎や山の中で手輕に出來るのは手輕なカスタープデンと云つて牛乳と玉子の蒸物が一番輕便です子、それは玉子二つへ牛乳一合と砂糖を大匙二杯と少しづヽ混ぜながら入れて箸でよく掻き廻してドロ/\にしたものを茶碗蒸の茶碗なら上等ですし或は御飯の茶碗へ入れて冠さる程の皿を蓋にしても宜う御座います、最初から氣短に玉子と牛乳を一度に混ぜるとツブ/\になつて不可ません、少しづヽ混ぜて拵へて置いて釜の中へ少し水を入れて今の茶碗を三つでも四つでも置いて重い蓋を釜へ載せて凡そ二十分位蒸します、其時蓋を取ってカステラの時の樣に細い箸を中央へ通して見れば出來ない時は子バつたものが着いて來ます、それがつかなければモー出來上つたのです、斯うして食べさせると何んなに牛乳の嫌ひな人でも美味しいと云つて悦びますよ、それをモー一層美味くするのは南瓜を蒸すか或は湯煮て裏漉しにして好い加減と思ふ程今の物へ混ぜて肉桂の粉を加へて蒸すのです、肉桂の粉は南瓜の味を出します然し無くつても構ひません、是が手輕な南瓜のプデンです、其外に今のカスタープデンへ御飯を混て蒸せばライスプデンになります、薩摩芋を湯煮て裏漉しにして肉桂の粉を加へて今のプデンへ混ぜても結構です、ジャガ芋と肉桂でも宜し、栗の湯煮たのを裏漉して混ぜると大層美味くなります饂飩や素麺の湯煮たのを二三十本混ぜて蒸しても洒落て居ますし、米の粉を大匙二杯計り入れて蒸しても美味いものが出來ます、パンを水に漬て絞って混ぜても宜う御座います」と輕便料理も種類多し、玉江孃面白がり「其外にオムレツなんぞは何んな田舎でも出來ます子」お登和孃「ハイ出來ますとも玉子の黄身へ鹽を少し加へてよく掻き混ぜて別に白身を雪の樣に泡立てヽ泡の消えない樣に輕く黄身を交ぜて鍋へ油を敷いて其中へ流し込む時箸の先か或は匙で上面を擴げて鍋一杯にして兩端を疊み込んで打返して燒けばそれで可いのです、モット柔にしやうと思へば牛乳を黄身の方へ少し加へますが白身さへ充分に泡立つて居れば牛乳を加へないでもフク/\したオムレツが出來ます」玉江「では玉子計りのオムレツです子」お登和「勿論、オムレツは玉子計りのもので肉や葱を入れたのは肉入オムレツです、或はジャムとか菓物の煮たのを入れても宜しう御座います、肉や葱を入れ度ければ細かく刻んで一度煮たものを今の中へ巻き込むのです」玉江「上等の家庭料理にするとオムレツは何んな風ですか」お登和「家庭料理のオムレツは玉子計りで鹽の外に少し唐辛の粉が入りまして油はサラダ油か上等のバターを使ひますが掛汁が唐辛と赤茄子のソースですそれは最初鍋で大匙一杯のバターを溶かしてコルンスタッチ即ち玉蜀黍の粉一杯をいためて其中へ壜詰の赤茄子ソースと牛か鳥のスープを加へて鹽と唐辛の粉を混ぜたものです暑い時分には唐辛が好いと申して折々此の料理が出ます」玉江「何故暑い時には唐辛が好いのでせう」
食道樂 冬の巻 第三百三十三 鶏小屋
養鶏の必要を説かれて老婦人よりもその良人なる老紳士大に感服し「成程、爾う伺つて見ると家庭の養鶏は中々の利益があります子、鯉や錦魚を飼つて眺めるよりも鶏を飼つて毎日玉子を食べた方が人の身體の為めになります、尤も養鶏塲を庭先へ設けて池の代りにする事も出來ますまいが一坪や二坪の地所ならば何處へでも拵へる事が出來ます、私どもでも早速一つ養鶏を實行致しませう、家内が玉江さんから折々西洋料理や西洋菓子の製法を習ひますと首尾好く出來る時は四つか五つの玉子で濟みますけれども出來損じて二度も三度も遣り直しますと忽ち十五六の玉子を使ひます、跡になつて玉子の代價を勘定して西洋菓子は高くかヽるとよく苦情を申しますが家へ十羽も鶏を飼つて置けば惜氣無く玉子を使へます、然し餘程熟練しなければ狭い處で多くの鶏を飼へますまいな」中川「イヽエ別段に六か敷い熟練も要りません、規則通りな鶏小屋を拵へて丹念に面倒を見て遣れば誰にでも出來ます」老紳士「その規則通りと云ふ事が六か敷いでせう」中川「イヽエ、上等にすれば際限もありませんけれども極く手輕にすれば無造作なものです、第一の必要が高燥で日當りの好い土地ですから物置の簷下で南向きの處を擇べばそれで澤山です、先づ其處を一坪竹矢來で圍ひます、一坪無くとも奥行四五尺位でも構ひません、簷下で無ければ上の方へ高さ四五尺位に屋根を作ります、その屋根の下へ太い止まり木を横に渡します、止まり木の代りに平たいヌキ板を平らに渡しても構ひません、此の止まり木が細いと足を疲らせて病氣になりますから成るたけ太い方が宜いのです、止まり木の高さに規則があるので産卵鶏即ち玉子を生ませる種類の鶏は高さを三尺から四尺迄の間に致します、肉樣鶏ですとモット低くして一尺から二尺の間に致します、止まり木の上へ二尺計り隔てヽ屋根を作りますから屋根の高さも止まり木の高さに順じなければなりません、その止まり木の長さは鶏が五羽ならば三尺餘十羽ならば六尺餘です、それから屋根の下の四方を手輕にすれば炭俵二枚合せて止まり木を眞中にして圍ひます、尤も一方がハメ板ならば三方を圍ふ計りです、是れが鶏の寢室で夜は其中へ寢るのですが下の方は何にもありません、鶏は下から上へ飛び上つたり上から下へ飛び下りたり自由になります、それから砂を地へ一面に敷きます、砂があると鶏は毎日砂を浴びて羽虫を除りますし、糞が溜まつても砂へ包まれて乾燥しますから鶏が病氣になりません、それで鶏の種類は上等にすれば純粹種のレグホンかハンバークを雄一羽に雌四羽位お買ひなさい、此の種類が日本の氣候に適して身體も丈夫ですし玉子もよく産みます、ハンバークの方は玉子が小さい代りに一年で二百三四十産みます、レグホンは玉子が大きくつて二百位産みます、是れも大きい鶏を買っては損です、最初は生れて百日位の雛を買って二月程養ふとモー直ぐに玉子を産み出します、雛で買つて一羽八十錢位ですから五羽で四圓です子、純粹で無い雜種ですと一羽四十錢五羽で二圓位です」と中々委しき養鶏談、

第三百三十四 鶏の餌
老紳士は養鶏談を熱心に聞き「そこで餌は何う致します」中川「その餌が即ち廢物利用なので、人の食物の屑です、魚のアラが極く上等ですし牛肉の屑でも魚の骨でも野菜の屑でも何でも掃溜へ捨てるものを大きな鍋へ入れて水から一時間も煮てそれを遣ります、夏と冬とでその材料も違はなければなりませんが丁度人の食物と同じ事ですから人が季節によって食べるものは鶏にも適當なので、つまり人の食物の屑さへ與へれば自然とその季節に應じて行きます」老紳士「毎日餌を煮て遣るのが少し面倒ですな、生物は不可ませんか」中川「生物は不可ません、生物を長く與へると色々な病氣を起します、鶯を飼つても摺餌を拵へる位ですから鶏の餌を煮る位何でもありません、つまり慣れです、慣れて了へば火のあつた處へかけて置く計りで少しも面倒でありません、鶯の摺餌より餘程樂です、殊に我邦の人は平生火鉢の火を遊ばせて置くでありませんか、萬年スープでもかけるか鶏の餌でもかけなければ火鉢の火は何の用をなしません、それも腐ったものなぞを煮ると匂ひがして不可ませんけれども腐ったものは鶏にも毒ですから腐らない内に煮るのです、然し人手が無くつて餌を煮られないと云ふ塲合には掃寄せ米か小麥の粃なんぞを與へても宜う御座います、つまり粒餌で小鳥を飼ふ樣なものです」老紳士「爾うすると値段が高くなりませう」中川「粒餌にして一羽の食料が一日三厘位で濟みますから一年に二百の玉子を産ませると玉子一つの餌代が五厘計りに當ります、尤も前の樣な煉餌でも材料が不足だつたらば煮る物の中へ米糠やフスマや或は麥糠などを加へて遣ります、唯急劇に食物を變化させるのは禁物で昨日迄煉餌を與へた者が今日から急に粒餌計りを食させると當分の内玉子を産ません、丁度上流社會で小兒の乳母を田舎から抱へて何でも滋養分を食べさせなければならんと肉や魚の御馳走を無闇に與へると食物の變化で乳母の乳が出なくなる樣なものです、鶏を育てるのも小兒を育てるのも同じ樣な事が澤山ありますから婦人が養鶏をすると大層育兒法の發明を致します、西洋で家庭の養鶏が上流社會に行はれるのも一つは動物の發達を研究する材料です」老紳士「成程爾うで御座いませう、清少納言も鶏の雛を愛らしきものに數へた位で鶏を育てるのは興味が多いに違ひありません、そこで餌は一日何程與へます」中川「鶏が食べて少し殘す位遣るのです、不足しては不可ません、百日餘の雛で一合餘、大きくなつて二合餘位の分量でせう、別に鶏小屋の中へは飮水を入れて置きますがその水の中へ釘の折れとか鐵の屑を入れて置くと鐵分が鶏の藥になります、折々は青菜の柔い草を與へなければなりませんし、夏になると消炭を粉にして餌に混ぜて一週間に一度位與へなければなりません、消炭の粉は腹の中を掃除します、然し多過ぎては不可ません、少しで宜いのです」老紳士「それで玉子は何う云ふ風に産み出しますか、私の友人も先年二三羽の鶏を放し飼にした事がありますが玉子を何處へ産むか分らんので大きに困ったと申します」と段々話しが實地に進む、

第三百三十五 鶏の病氣
中川も熱心に「それは最初習慣を付けないからです、鶏も初産が肝腎で、雛の鶏冠が赤色を増して來るとモー生み出す前ですから産卵箱と云ふものを少し高い處へ拵へて遣らなければなりません、石油箱へ藁を詰めれば澤山です、それを地上二尺位の處へ作り付けて藁の上へ外の玉子を一つ置いて遣ります、擬製の玉子と云つて陶器製の玉子もそれが為めに出來て居ます、鶏はそれを見ると必ず其中へ産んで外へ産みません、放し飼では猶更此の習慣が肝腎で人の知らない處へ産んで人が長く取らずに置くと外の鶏が食べて了ふ事も毎度あります」老紳士「一度産み出すと毎日産みませうか」中川「左樣です、産み初めると四日間位毎日産んで一日休んで復た四日間産むと云ふ順序になります、一年の中で冬になると産み方が寡くなりますし、羽の抜けかはる時にも暫く休みます、外の種類の鶏は巣に付くと云ふ事があつて其時も暫く玉子を産みませんがレグホンとハンバークは巣に付きません、その代り玉子は人工孵卵器で孵化させなければなりません」老紳士「鶏小屋の掃除は何うします」中川「毎日一度づヽ中を掃いて糞を取つて遣れば此上無しですけれども砂が入れてあれば夏は二日目冬は一週間目位で宜う御座います」老紳士「素人が飼ふと病氣をした時困りますネ」中川「今申上げた通りに飼へば滅多にと云ふより殆ど病氣になる事はありません、鶏の病氣は多く飼ふ人の不行届と横着から起ります」老紳士「私の友人が以前飼つた時分はよくノドケとハナゲと云ふ病氣になつたそうです」中川「あれは鶏の風胃です、ノドケには喉の中をテレピン油で拭て遣ます、それは筆の代りに鳥の羽の中程をむしつて先の方を蝶位な形ちに殘してテレビン油をつけて喉の中をグルリと拭くのです、ハナゲは酢を温めて鼻を洗つてテレビン油を付けて置くと双方とも大概癒ります」老紳士「鶏はよく下痢を起すそうです子」中川「あれは鶏の胃腸病で鶏冠の色が白みを帶びて來ます、鶏の食物は澱粉質が多う御座いますから高峯博士のタカヂャスターゼを與へるのが一番です」老紳士「夏になると鶏が霍亂の樣になつて急に死ぬ事があります子」中川「それは二通りあります、一つは日射病の樣なもので鶏冠が黒くなつて萎れて急に弱つて半日位で仆れますが何でも夏は平生鶏冠に注意して少しでも色が黒くなりかけたら唐辛子の粉を口へ割り込んで水を呑ませて涼しい處へ置けば大概助かります、モー一つは腦充血の樣な病氣で急にトサカの色が變ってバタ/\して一時間位で倒れます、それには早く脇の下の静脈を截つて血を出せば助かります」老紳士「それ/\療治法があるものですな、鶏一羽が一代に何程玉子を産みませう」中川「今の鶏で先づ千位です、即ち五年間の餘産んで居ますけれども三年を過ぎると産卵力が減じます」老紳士「鶏小屋へはよく鼬が來たり蛇が來たりして不可ませんが何か防ぐ法がありますか」中川「鼬除けには硝子板か鮑貝の樣な光るものを三方へ釣るして置きます、蛇除には小屋の周圍へ煙草の粉を撒いて置きます」老紳士「成程子爾う云ふ風に色々委しく伺つて見れば誰にでも出來そうです、早速一つ養鶏を始めませう」中川「然し一塲の談話位では迚も委しい事を申上げられません、西洋の料理法には必ず養鶏法の伴ふものですから私も近い内に家庭の養鶏法と題する書物を著す積りです、委細の事はそれを御覧下さい」