たまご料理の数々
第三百三十四 鶏の餌 老紳士は養鶏談を熱心に聞き「そこで餌は何う致します」中川「その餌が即ち廢物利用なので、人の食物の屑です、魚のアラが極く上等ですし牛肉の屑でも魚の骨でも野菜の屑でも何でも掃溜へ捨てるものを大きな鍋へ入れて水から一時間も煮てそれを遣ります、夏と冬とでその材料も違はなければなりませんが丁度人の食物と同じ事ですから人が季節によって食べるものは鶏にも適當なので、つまり人の食物の屑さへ與へれば自然とその季節に應じて行きます」老紳士「毎日餌を煮て遣るのが少し面倒ですな、生物は不可ませんか」中川「生物は不可ません、生物を長く與へると色々な病氣を起します、鶯を飼つても摺餌を拵へる位ですから鶏の餌を煮る位何でもありません、つまり慣れです、慣れて了へば火のあつた處へかけて置く計りで少しも面倒でありません、鶯の摺餌より餘程樂です、殊に我邦の人は平生火鉢の火を遊ばせて置くでありませんか、萬年スープでもかけるか鶏の餌でもかけなければ火鉢の火は何の用をなしません、それも腐ったものなぞを煮ると匂ひがして不可ませんけれども腐ったものは鶏にも毒ですから腐らない内に煮るのです、然し人手が無くつて餌を煮られないと云ふ塲合には掃寄せ米か小麥の粃なんぞを與へても宜う御座います、つまり粒餌で小鳥を飼ふ樣なものです」老紳士「爾うすると値段が高くなりませう」中川「粒餌にして一羽の食料が一日三厘位で濟みますから一年に二百の玉子を産ませると玉子一つの餌代が五厘計りに當ります、尤も前の樣な煉餌でも材料が不足だつたらば煮る物の中へ米糠やフスマや或は麥糠などを加へて遣ります、唯急劇に食物を變化させるのは禁物で昨日迄煉餌を與へた者が今日から急に粒餌計りを食させると當分の内玉子を産ません、丁度上流社會で小兒の乳母を田舎から抱へて何でも滋養分を食べさせなければならんと肉や魚の御馳走を無闇に與へると食物の變化で乳母の乳が出なくなる樣なものです、鶏を育てるのも小兒を育てるのも同じ樣な事が澤山ありますから婦人が養鶏をすると大層育兒法の發明を致します、西洋で家庭の養鶏が上流社會に行はれるのも一つは動物の發達を研究する材料です」老紳士「成程爾うで御座いませう、清少納言も鶏の雛を愛らしきものに數へた位で鶏を育てるのは興味が多いに違ひありません、そこで餌は一日何程與へます」中川「鶏が食べて少し殘す位遣るのです、不足しては不可ません、百日餘の雛で一合餘、大きくなつて二合餘位の分量でせう、別に鶏小屋の中へは飮水を入れて置きますがその水の中へ釘の折れとか鐵の屑を入れて置くと鐵分が鶏の藥になります、折々は青菜の柔い草を與へなければなりませんし、夏になると消炭を粉にして餌に混ぜて一週間に一度位與へなければなりません、消炭の粉は腹の中を掃除します、然し多過ぎては不可ません、少しで宜いのです」老紳士「それで玉子は何う云ふ風に産み出しますか、私の友人も先年二三羽の鶏を放し飼にした事がありますが玉子を何處へ産むか分らんので大きに困ったと申します」と段々話しが實地に進む、
第三百三十五 鶏の病氣 中川も熱心に「それは最初習慣を付けないからです、鶏も初産が肝腎で、雛の鶏冠が赤色を増して來るとモー生み出す前ですから産卵箱と云ふものを少し高い處へ拵へて遣らなければなりません、石油箱へ藁を詰めれば澤山です、それを地上二尺位の處へ作り付けて藁の上へ外の玉子を一つ置いて遣ります、擬製の玉子と云つて陶器製の玉子もそれが為めに出來て居ます、鶏はそれを見ると必ず其中へ産んで外へ産みません、放し飼では猶更此の習慣が肝腎で人の知らない處へ産んで人が長く取らずに置くと外の鶏が食べて了ふ事も毎度あります」老紳士「一度産み出すと毎日産みませうか」中川「左樣です、産み初めると四日間位毎日産んで一日休んで復た四日間産むと云ふ順序になります、一年の中で冬になると産み方が寡くなりますし、羽の抜けかはる時にも暫く休みます、外の種類の鶏は巣に付くと云ふ事があつて其時も暫く玉子を産みませんがレグホンとハンバークは巣に付きません、その代り玉子は人工孵卵器で孵化させなければなりません」老紳士「鶏小屋の掃除は何うします」中川「毎日一度づヽ中を掃いて糞を取つて遣れば此上無しですけれども砂が入れてあれば夏は二日目冬は一週間目位で宜う御座います」老紳士「素人が飼ふと病氣をした時困りますネ」中川「今申上げた通りに飼へば滅多にと云ふより殆ど病氣になる事はありません、鶏の病氣は多く飼ふ人の不行届と横着から起ります」老紳士「私の友人が以前飼つた時分はよくノドケとハナゲと云ふ病氣になつたそうです」中川「あれは鶏の風胃です、ノドケには喉の中をテレピン油で拭て遣ます、それは筆の代りに鳥の羽の中程をむしつて先の方を蝶位な形ちに殘してテレビン油をつけて喉の中をグルリと拭くのです、ハナゲは酢を温めて鼻を洗つてテレビン油を付けて置くと双方とも大概癒ります」老紳士「鶏はよく下痢を起すそうです子」中川「あれは鶏の胃腸病で鶏冠の色が白みを帶びて來ます、鶏の食物は澱粉質が多う御座いますから高峯博士のタカヂャスターゼを與へるのが一番です」老紳士「夏になると鶏が霍亂の樣になつて急に死ぬ事があります子」中川「それは二通りあります、一つは日射病の樣なもので鶏冠が黒くなつて萎れて急に弱つて半日位で仆れますが何でも夏は平生鶏冠に注意して少しでも色が黒くなりかけたら唐辛子の粉を口へ割り込んで水を呑ませて涼しい處へ置けば大概助かります、モー一つは腦充血の樣な病氣で急にトサカの色が變ってバタ/\して一時間位で倒れます、それには早く脇の下の静脈を截つて血を出せば助かります」老紳士「それ/\療治法があるものですな、鶏一羽が一代に何程玉子を産みませう」中川「今の鶏で先づ千位です、即ち五年間の餘産んで居ますけれども三年を過ぎると産卵力が減じます」老紳士「鶏小屋へはよく鼬が來たり蛇が來たりして不可ませんが何か防ぐ法がありますか」中川「鼬除けには硝子板か鮑貝の樣な光るものを三方へ釣るして置きます、蛇除には小屋の周圍へ煙草の粉を撒いて置きます」老紳士「成程子爾う云ふ風に色々委しく伺つて見れば誰にでも出來そうです、早速一つ養鶏を始めませう」中川「然し一塲の談話位では迚も委しい事を申上げられません、西洋の料理法には必ず養鶏法の伴ふものですから私も近い内に家庭の養鶏法と題する書物を著す積りです、委細の事はそれを御覧下さい」